“形而上学”に出会って、親子関係がどう変化しているかについて、小林文子さんにお話しを聞いてみました。
■インタビュアー 田中宏司 (書記 シンシアロヒ)
お話しに答えてくれた小林文子さん
形而上学を学ばれてかなりの年数を過ごされています。
お子さんも今では成人されていて、大御所感満載のインタビューとなりました(笑)。
宏司「形而上学に出会われた頃はどんな状況でしたか」
文子「私が子育てを始めた頃は、まだ母親学級とかもようやくサポートを始めた頃でしたので、自治体での差もあって、あまり相談できるところがなかったんです」
文子「はじめは、川崎にいて、子育ての相談をしようと電話予約すると、一分もたたないうちに満席になってしまう。予防接種も300番台とかで、そのくらい、サポートを受けることが難しかった時代です。
その代わりに、自主的なママサークルのようなものがありましたね」
宏司「それは、大変な時代でしたね」
文子「えぇ。その後、さいたまに引っ越しすることになって、そこでは、ママサークルはクローズで、よそ者は受け入れないという雰囲気があって…。新規参入者は年に一度しかチャンスがないという状態でしたね」
宏司「エ~」
文子「8畳の部屋に週に一回集まるのにも、人数制限があるから、新規は入れないの。そんな頃にアデプトブログラムに出会いました」
宏司「そうだったんですね。そのとき、お子さんは何歳だったんですか」
文子「上の子は、1歳3か月で、下の子をちょうど妊娠するくらいだったと思います」
文子「閉鎖的な土地がストレスで、落ち込む毎日でしたね」
宏司(うんうんとうなづく)
文子「そんな中、川崎で出会った人たちは、自主的にどんどん活動していて…。
アデプトを受けて、なんとかしなくちゃ、と思うようになったんです。
それで、自分も子育て支援に加わろうと動いたんです」
宏司「へぇ~。では文子さんの場合は、アデプトを受けてご自身が子育て支援を待つのではなく、自ら支援を行う側になったということですね」
文子「はい。アデプトを受けて、自分がこれまで見聞きしてきた子育て論や人生論が全く違うことに氣づきました。
そこから、子育てにももっとのめり込むようになったと思います」
文子「そうは言っても、形而上学を他のお母さんたちに伝えても、ものすごい抵抗を受けて、そんなこと意味あるの?
そんなことで傷つく人もいるよ、とか言われてしまいました」
宏司「う~ん。それって何なんでしょうね。人間の意識が強いのか…」
文子「当時は、まだ早かったのかもしれません。形而上学なんて、他の人は考えたこともなかったでしょうから」
今でこそ、子育てママさんも、この世界の学びを極めていく人が増えています。そして、何といってもお母さんが変われば、子どもも変わる。そして、旦那さまも変化されていることが増えてきました。
ですが、時代が違うと、こんなに違うのかと文子さんのお話を聞きながら思いました。(ロヒの感想)
文子「それで、二人目の子は、上の子と全く違ったんです。どうやって育てようかと迷ってしまった。これは、受け入れて…と言っても、
観察するしかない、と思いましたね」
宏司「お子さんはインディゴチルドレンですか」
文子「私にとっては、インディゴチルドレンというのはそんな概念さえも当てはまらないです。そんなもんでくくれるものじゃない」
宏司 たじたじになる…(笑)
宏司「地球の波動を上げていくために文子さんのお子さんはやってこられたってことでしょうか」
文子「上の子は、人見知りがものすごく激しくて、カメラ目線で写真を撮られるのさえすごく嫌で。他の人に可愛いねと言われるとものすごく大泣きする。それでも好奇心が旺盛で、スーパーに連れて行ったりすると、いろんなところに行ってしまって」
宏司「店員さんも大変ですね。お子さんが一人でいるからって声をかけたら大泣きされるだろうし」
文子「下の子は、宇宙人みたいで、たましいが抜けているようで大変でした。専門家の人に相談されますか?と言われたりして。私は結構です、と言っていたの」
文子「目の焦点も合わなくて、手に何か持たせても握れない。肉体にいないから、くすぐっても反応しない。
物体になっている。
言葉や文字にも関心がないし、人間関係を言葉でやるということにも関心がない。
だから、いろんなものの言葉が違ったり意味するものが分からない。たとえば、ポテトもポストも同じ。
なんでもいい。どっちでもいい」
宏司「へぇ~。ポがつけば同じ?」
文子「そういうのも、形而上学を学んでいなかったら、どこかを探して何とかしてもらおうとしていたかもしれない。
形而上学を学んでいたので、そういうのもありかな~と思えたんです」
宏司「そういう意味では、文子さんがアデプトに出会っていらしたのも意味があったんですね」
文子「はい。でも、(頭では)そういうことを受け入れていても、この子の仕様に世界がなっていないから、それを見るのが辛かった。たとえば、好きなように遊びに行っていいよと言っても、一緒に遊べる子がいなくて、子どもはそんなことを言われて困っていたの」
宏司「はい。うちの子も他の子と違うところがあったので、どうしようかと思ったんですけど、これは見守るしかない、とずいぶん長い間やってきました。それを早い時期から文子さんはやってこられたんですね」
文子「うちの子は、身体を使いたがらない。外遊びをする活動に連れて行って、そこのサークルの運営まで私もやっていたんですけど。裸足で遊ぶとか、火遊びとか、水も使い放題、どろんこ遊びもできる。そこで木登りもして好きなように好きなだけやっていいよという場所があったんです。そこで、五感を使って、四大を感じられる贅沢な遊びの場を提供したけれど、娘は拒否してる。好きじゃなくて…。私につきあわされてるくらいにしか思っていなくて」
宏司「う~ん」
文子「だからよかれと思っても、その子にとっては楽しめるかどうかはまた別だったんです。
下の子は、ともかく、お姉ちゃんと一緒にいるのが好きで、お姉ちゃんと一緒じゃなきゃつまらない。
上の子は、喜怒哀楽が激しくて、元氣なオーラの持ち主で、キャーキャー四六時中動いている、そのエネルギーの様子が(下の子にとって)多分楽しいみたい」
宏司「う~ん。見ている世界が違うのかもしれないですね。面白い。なんかわかるような氣がします」
文子「そうは言っても、お姉ちゃんについて一生生きるわけでもないから、自分で独立して自分で人生を動かしていく必要があるので、その力がつくまでに時間がかかるタイプなんだなと見ています」
文子「今、その子は大学三年生で酔っ払って友達に連れてこられて帰ってくる」
宏司「それはまた…」
文子「もう好きにしてもらおうと思っている。無事に家に帰ってきてくれればいいかと。
そうやって自分で自分をコントロールする経験になっていけばと見守っています。まだ」
宏司「はい。まだ、見守っている状態なんですね」
文子「とにかく、自力で生きてもらわないと。自分の人生を動かしていくというのは親であってもできないから」
宏司「そうですね」
文子「そのための経験をしてもらいたくて。まだまだ途中です」
文子「あ、そうそう。子育てに関しては、勉強しろとは言ってこなかったし、テストの結果も氣にならなかったんだけど、上の子が大学受験期に、なんで小さい頃に勉強しろって言って、勉強する習慣を私につけさせてくれなかったの、と言われたことがある」
宏司「ははは。それはそれで面白いですね」
文子「習い事も上の子には一個にしとけって、上の子は友達と遊びに行きたいというから。でも下の子は、友達を作るのが苦手だったから、放課後の時間つぶしができなかったのね。私が遊びに行けって言うし、それを断る理由が欲しくって、習い事を週5日入れていた。それが苦痛だったかと見ていると、そうでもないようで。無理して友達と遊ぶことや、私に遊びに行けって言われることの方が方が苦痛だったみたい」
宏司「ふ~ん」
文子「可哀そうだな~って。暇な時間も暇で可哀そうだなぁ~って見えたの」
宏司「うちの子は、お姉ちゃんは一人でいる時間も大切にしてますよ」
文子「それが楽しめる子はいいんだよね~。それも時間の使い方がその子によって違うからなんとも言えないんだけど」
宏司「一人で何にもできない子もたしかにいますよね。親に暇~って言ってきて、なんか遊んできなさい、と言っても何もできない。それは子どもにとっても辛いですよね。何もできない、遊びに行け、遊びに誘われるのも嫌」
文子「何もできないというよりは、楽しいことがなかった。人の楽しむエネルギーを見て楽しむ子だから。楽しいエネルギーが見つけられない。友達を見てても、そういう友達が見つけられなかったから。
お姉ちゃんが最高で。友達とは、いいように使われるとか、女の子同士の駆け引きとか、そういうので、友達とそれ以上仲良くなれないというか…」
宏司「それでは、ここでちょっと話が変わりますが、形而上学に出会って子育てで良かったことは何でしたか」
文子「型にはめないで受けとめることができたことかな。さらに、子育て支援をしていたことで、いろんな子どものバリエーションを見ていたので、自分の子どもの個性を受け入れることができたし、それが良かったかな」
宏司「この学びをしていて子ども目線で見るとどうですか」
文子「子どもが小さい頃から、べったりじゃなかったし、セミナーを受けに行ったりして子どもと一緒にいない時間が多いので、あまり子どもにとってはメリットがなかったかも…(笑)。
他のママとは違うって。こういうママは他にいないと言われる。娘の友達が遊びに来ても、ちょっと変わってるね、ここのママはね~と言われる。友達みたいな。でもそれが押しつけがましくなく、監視されるわけでもなく、それは良かったと思う。そうじゃなかったら、自分の親のコピー、母親は自分の親しか見ていないからそこをベースに動いているじゃない。ヒステリックだったり、こうしろ、あぁしろと動いてみたり。そういう環境にならなかったのは、すごく有難かったと思える。アデプトを受けてから子どもを育てられたのは」
文子「あとは子どもを信じられる。肉体的には小さいけれど、スピリット的にはそうじゃないというのを知っているから、信じることもできるし、頼ることもできるし」
宏司「それは大切ですね」
宏司「一つ聞いていいですか。娘さんのお友達から何か聞いたことはありますか? 変わってる以外に(笑)」
文子「娘の友達から見たら、PTAをやってきたので、いつも何かしているお母さんという印象の方が強いかも。
PTAの副会長やなんとかの代表という顔で前に立つことが多かったから」
宏司「それでは、娘さん目線で実際のところどう思われているか、後日談をお待ちしています(笑)」
インタビューを終えて
今回のインタビューで思ったことは、文子さんはお子さんの子育てで大変な苦労をされてきたのだろうということです。二人のお子さん、それぞれに全く違う個性を持ってこられていて、それが強烈だった印象を受けました。でも、実際は、どの子も強烈な個性を持って生まれてきているのだろうと思います。
ただ、それが出せる環境にあるかないかの違いだけではないかと思うのです。
個性がそのまま出せたお子さんは幸せだな、と思います。
個性を押し殺して生きることになった人はたくさんいらっしゃるのではないかな、と思うのです。
自分が自分のままいられる、さらにいうと、本当の自分が望んできた生き方が出来る。それは世界を良くすることや、まわりの人を幸せにすること、あるいは、誰かを助けることに必ずつながっている。そうだとしたら素敵だと思いませんか?
形而上学を正しく学んでいくと、その理由が分かってくるから不思議です。
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